真実を追究する KSM WORLD

日本の歴史・政治など納得いかないものを徹底的に追究するブログ。

    資金源

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    遅いが遂にタブー打破できるか?注目されるのが朝鮮総連への対応。朝鮮総連は日本における北朝鮮の資金源で拉致事件にも関与してた疑ひが強いとされる組織。自民党の拉致問題対策本部では日本独自の制裁として朝鮮総連の破産申し立てなどの必要性がたびたび叫ばれてきてゐる。


    1: KSM WORLD NEWS 2017/06/20(火) 23:25:21.32 BE:844628612-PLT(14990) ポイント特典
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    逃走資金は年3千万円か 中核派が大坂容疑者に支給?(朝日新聞) - goo ニュース
    https://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/ASK6M4V5RK6MUTIL01P.html‬

     1971年に中核派が起こした渋谷暴動事件で、大坂正明容疑者(67)=殺人容疑などで再逮捕=の逃走を支援するために組織が支給した資金が、1年間で約3千万円に上っていたとみられることが捜査関係者への取材でわかった。

     捜査関係者によると、警視庁が2012年3月、東京都立川市のアジトを捜索した際、逃走資金の詳細を記した「収支報告書」が見つかった。どのように使ったか、逃走を支援するメンバーが組織に説明するために作成したとみられる。

     報告書では、大坂容疑者が潜伏するための複数のアジトの運営費として、1カ所当たり月約20万円が中核派から支給されていた。内訳は家賃や光熱費のほか、逃走を支援するメンバー十数人に対する慰労費や交際費だった。ほかにもこれらのメンバーには年間で1人当たり250万~300万円が支給され、逃走支援費は総額で約3千万円に上っていたという。
    http://i.imgur.com/914Ytwi.jpg
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    気になる書き込み
    992: 名無し三等兵 2017/06/08(木) 22:48:42.32 ID:+69SSwKJ
    984
    京都大の中核派アジトの家宅捜索で内部資料が見つかって
    そこで資金ルートとかに関わっている
    現役議員がいくつかいることが判明した模様。

    なのでテロ特措法の初適応案件は
    中核派の一斉検挙なんじゃあないかと噂されている。

    【【中核派】大阪正明の逃走資金は年3千万円か 中核派が支給 資金源は?】の続きを読む

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    共産党がひた隠しにしたい実態。
    政党助成金をもらってないのは事実だが、「代わりに」何をしているか、である。

    議員に比較し立場の弱い公務員に対し、押し売りまがいの勧誘行為を継続している。
    赤旗には日刊紙と日曜版がある。

    日刊紙は赤字まみれのようで、単体での黒字化は不可能だろう。
    かと言って重要な位置づけ(後述)の日刊紙を廃刊にすることは、党の方針としても難しい。
    これを「日曜版の収益」で維持しているのが実態とされる。

    その赤旗だが、地方公務員が買い支えている、もとい「買い支えさせている」のが実態であるならば、(給与として支払われた後とは言え)原資は税金である。

    「政党助成金をもらってない」という美名の元、実際はどのようなことをしているのか。
    さて、共産党が隠したい実態について、私の過去の活動を軸に、報道資料で振り返ってみたい。

    まるで一つながりの読み物かのように、ストーリーは進んでいく。

    いま振り返る、赤旗撲滅作戦。

    始まりの時、雌伏。そして不遇の時代
    徳永克子(共産党行橋市議)が全部悪い。
    赤旗撲滅作戦の発端は、ある共産党市議から延々と攻撃を受けたため。
    保守系団体の長として、ロビー活動でならした私も「新人一期生」らしく、何があっても猫をかぶってきた。
    信じられないかも知れないが、当初の一年半ほどは「私は異常なまでに静か」だった。

    寝た子を起こしたのは、共産党市議である。
    寝起きの子供は機嫌が悪い。共産党は、党全体で責任をとるように。


     我が地域の痛みを、思い知れ。

    民間人である友を攻撃した重み、思い知れ。

    無謀なる共産党よ、彼女がいる限り、私は攻撃の手を緩めない。
    何があろうとも、仮に議席ひとつであろうとも、私はおまえを許さない。

    連帯責任というだろう?
    私は待った、可能な限り待った、我慢できることは全て我慢した。

    かつて大東亜を戦った日本がそうであったように。
    我慢には、限度というものがある。

    続きは小坪氏のblogで  https://samurai20.jp/2016/10/akahata-31/ 




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