真実を追究する KSM WORLD

日本の歴史・政治など納得いかないものを徹底的に追究するブログ。

    知られざる

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    パキスタンの綿花が支えた日本の高度経済成長

     「日本という言葉は、そのまま高品質を意味する」

     2017年12月初旬にパキスタンを訪れた際、各地で異口同音にこうした言葉を聞いた。

     パキスタンは1947年に英領インドから東西パキスタンとして独立。その後東パキスタンがバングラデシュとして分離したが、冷戦時代から西側諸国と比較的友好な関係を維持している。

     日本との交流の歴史も長い。英領時代の1918年に日本綿花(現双日)が南東部カラチに進出しており、パキスタンが成立した49年には日本に対していち早く綿花の輸出を解禁した。パキスタンからの綿供給に支えられた日本の紡績産業が、高度経済成長の原動力となった側面もある。

     「長い友好の歴史からパキスタンの誰に聞いても日本への好意を口にするはずだ。そして、この国に何台外国産の車があるのか数えてみてほしい」と話すのは、ナセル・ジャンジュア国家安全保障担当補佐官だ。

     その言葉の意味は、日本車のシェアにある。街を走っている乗用車はほとんどがトヨタや日産といった日本メーカー製だ。

     パキスタン自動車工業会のまとめによると、2016年7月~17年6月に販売された乗用車18万5781台のうち、現代自動車(韓国)が販売した1台をのぞくすべてが日本車だ。工業会に加盟していないメーカーもあり、完全に実態を反映した数字ではないというが、地元関係者によると「少なく見積もっても97%は日本車」だという。

     「1980年製のトヨタにいまだに乗っているが、壊れる気配もない」(パキスタン人大学教授)と話すユーザーも多く、他国メーカー製の新車よりも、日本車の中古の方が高値で取引されることも多いという。

    続きは産経ニュースで 
    http://www.sankei.com/premium/news/180110/prm1801100003-n2.html


    岩倉使節団とは

        岩倉使節団は、明治新政府によって派遣された大規模な公式の使節団です。政府で重要な位置を占める人々が参加するこの初の使節団の派遣は、明治維新によって新しい時代を切り拓きつつあった当時の日本にとって、国づくりをかけた大きな試みでした。
    使節団は、明治4年11月12日(西暦1871年12月23日)に横浜を出航しました。太平洋を渡って米国に半年以上滞在して後、大西洋を越え、同年7月13日(西暦では8月17日)に欧州に入りました。そして、英国に約4ヶ月間滞在したのをはじめとして、欧州の国々を1年近くにわたって歴訪しました。明治6年(1873年)7月20日に仏国マルセイユ港を発った使節団は、スエズ運河経由でインド洋をまわり、明治6年(1873年)9月13日に横浜に帰り着きました。この時、10ヶ月半という当初の予定を大きく超過して、出発から約1年10ヶ月という月日が経っていました。。
    http://www.jacar.go.jp/iwakura/sisetudan/main.html

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