加藤氏は、なぜOSSが、それだけ力を持ったかについて、次のように述べている。

《OSSは、反ファシズムのヒューマ二スムと学問研究の特性を利用し、戦時体制下に研究者を総動員し、その成果を吸収しつくして世界戦略を立案し、勝利した。だからこそ、その担い手たちは、戦後アカデミスムで圧倒的な影響力を持ち得た。その実証分析を重んじた組織的な情報戦によって、ナチス・ドイツや軍国日本はもとより、指導者の意に沿わない情報を遮断し切り捨てる旧ソ連の国家哲学強要型情報部や、伝統的なイギリスの秘密主義的諜報戦に勝利しえた》などと言っているが、そのソ連の異なった、左翼ユダヤ人学者のフランクフルト学派的な「批判理論」が、ルーズベルトの隠れ社会主義路線によって、支持されていったことが、理解されていない。その理解の仕方が、「天皇制民主主義」である、というのも、大半の保守陣営の受け止め方と変わりがない》(加藤・前掲書)。
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そこに東京裁判と日本国憲法の一貫性があることは、OSSを牛耳ったフランクフルト学派の「隠れマルクス主義」の階級と言う言葉を使わない「階級闘争史観」である。、この裁判と共に、日本国憲法にもそれが持ち込まれたことが、保守の側でさえも気がつかれない、のは、やはりマルクス主義音痴とでもいうべきであろう。これらによって日本国民の価値観を転換させるまでの大きな影響を及ぼすことになったことさえ、気がつかないでいる。この日本国内の、少数勢力であるはずの「革新」勢力が、あたかも大きな力をもつかのような理論的は背景を与えられたのである。ここの二極分解れによって『権力を取らずに世界を変える』(ジョン・ホロウエイ著、同時代社、二〇〇九年)術策にはまり、戦後の「左翼」化が始まったのである。
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すでに私は、左翼が戦後、フランクフルト学派の意向に従って、「文化」を主戦場にしている、と指摘した。メデイアや大学といったところの中間階級層の意識の変革をねらった「隠れマルクス主義」の運動をしている、と分析した(※2)。それが社会主義国が崩壊した後も、連綿として続けられていると述べている。かつてのストライキを中心にした「労・農」階層の社会主義運動が失敗して、「文化」方面に目を向けた運動のねらいはあたったかもしれない。保守の抵抗も声が小さかった。彼らはヘゲモニーを握ったと思っているようだが、それも文学内容の薄弱さでいずれは疲れ、消えていくであろう。
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今日の知識人の動きとして、グローバリスムの中で、「多文化主義」とか「異文化理解」とか、要するに、それぞれの国の共同体文化を相対化する見方が促進されているが、逆に、それぞれの国の伝統の文化を破壞する言葉として乱用されている。その実例が姜氏の例であり、日本に同化することのない異文化の韓国人が、妙にマスコミで多用されるという事態となっているのである。しかしその原因は、基本的には戦後のフランクフルト学派を起点とする「隠れマルクス主義」の動きにあったことは、拙著『戦後日本を狂わせたOSS「日本計画」』で明らかにしている。文化を左翼が論じ始めたときから、彼らは、文化を現在の社会を否定する表現として使いはじめ、歴史を破壞する方向に向かったのである。
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フランクフルト学派の「批判理論」と言われるものは、前号まで述べたように、現実批判にもとづく社会の在り方を追及するとともに、社会分析において、従来のマルクス主義のような経済学的解釈だけでなく、フロイトの精神分析をはじめとする近代の心理学、社会学の方法を取り入れたものであった。「労働者」の概念より、「プチブル」と言われた小市民層、とくに学生に訴えるもので、従来のマルクス主義とは相いれない層の精神変革に重点をおいていたのである。すでに労働者を中心とする革命運動は退潮し、中間層が参加する、いわゆる資本主義の「疎外感」に訴える運動であったのである。

この理論は、すでに触れてきたように、五〇年代に亡命先のアメリカから帰国したアドルノ、ホルクハイマーたちによってフランクフルト大学で再興されたものである。同学派の中心人物であったヘルベルト・マルクーゼはアメリカに残り、コロンビア大学、ハーバード大学、カリフォルニア大学サンティエゴ校などで、意識的な学生たちをとらえていった。マルクーゼはアメリカの学生運動に理論的な基盤を与えたと言われ、従来の共産党主導の理論ではなく、学生をターゲットにしていた行動理論を謳っていた。学生運動を支持し、彼らの警官隊とのぶつかり合いを含めた行動(アクション)としての反政府運動を煽った。「抑圧」された少数派には抵抗する権利がある、とする理論を展開し、民主主義に抵抗したのである(5)。 日本の「安保闘争」とやらも、似ているものであったが、宇野弘蔵の資本主義分析にもとづく共産党路線を批判したブンド(共産主義者同盟)の理論や、共産党知識人の右翼から左翼への「転向」を問題にした吉本隆明の批判が部分的に似ているだけで、マルクーゼのようなイデオロ―グはいなかった。フランクフルト学派の理論は戦後の普遍化された「ナチズム」的「権威主義」への批判であったが、日本の場合は既成左翼への「権威主義」批判が強かった。とくに根本的な違いは、彼らフランクフルト学派が、その根幹に「反ユダヤ主義」があったことである。彼らのほとんどすべて左翼ユダヤ人であることを問題にせず、またそれに対する人種差別を、運動の核心においていたことを秘していた。「反ユダヤ主義」を封じ、常にアウシュビッツを非難することで、絶対的な悪としてナチズムを置き、その傾向のものをファッシストとして告発する態度を貫いていた。

この背景は日本では余り理解されず、あたかも普遍的なマルクス主義理論であるかの如く、喧伝された。日本ではマルクス主義自体が、ヨーロッパにおける少数派左翼ユダヤ人の民族差別糾明とその救済、そして資本主義批判の思想の両方であることが意識されず、さも反共産党的な社会主義思想である、と信じられてきたのである(6)。
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他方、資本主義国では「否定的弁証法」を標榜したフランクフルト学派が、資本主義内の左翼化、リベラル化をはかってきた。「共産主義」圏と同じ方針では、成り立たなかったからである。各地で一斉に起こった1968年の「5月革命」はその動きであった。その後も、常に中間層に「疎外」感を与え、「反権力」思想に導こうとしたのである。

日本の民主党は、まさにそのフランクフルト学派の社会主義イデオロギーのもと、OSSが創り出した「日本計画」(GHQに引き継がれた)の落し子であった。民主化ならぬ社会主義化で出発した戦後日本の、成れの果ての政党であったのだ。その中に、旧社会党、リベラルが入り込み、その党名のとおり、あたかも民主主義の思想があるかの如く、幻想を与えたのである。その思想が何の実績ももたらさず、現実を破壊するだけの素人政権にすぎなかったことは、彼らの戦後レジームの虚構性をますます明らかにした。それをやっと国民が、彼らに政権をもたせたことでわかったのである。
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OSSを牛耳っていたフランクフルト学派は、戦後2年ほどの「冷戦」の中で「マッカーシズム」によって表面的に追い出されるが、アメリカ民主党政権や国連に入りこんだ。そして言論界、経済界のアメリカのリベラル化につとめた。メデイアを握り、「反権威主義」をあおり、文化の「多様化」主義から、「グローバリズム」まで提唱した。「ネオコン」にも入りこんだ。いずれも左翼ユダヤ人らしい、少数派がいかに多数派の顔をするか、謀略戦を行ってきたのである。

彼らは、最初の黒人大統領オバマを創り出したが、しかし彼らの大きな問題はイスラエルであった。大資金を必要とする国家イスラエルに金を供給するために、どうしてもイスラエル派の立場に立つアメリカ政権をつくる必要性があった。ロムニー候補は、その役割を負ったが、しかしそれに対して、アメリカ左翼ユダヤ人は、冷ややかだったのである。ユダヤ人たちは分裂せざるをえなかった。

戦後、資金を必要としたイスラエルはユダヤ人がウォール街を握ることによって維持された、と言ってよい。しかしペンタゴンを中心とするアメリカの「ワスプ」は、もうユダヤ人たちの棟梁を許さない段階にきたと考えた。戦後、ユダヤ勢力によってつくられた国際金融の変動が、さすがに「リーマン・ショック」以後、ひどすぎると思い始めたからである。オバマの脱イスラエル路線は始まっている。クリントン国務長官の辞任は、その表れといってよい。

戦後の資本主義国家の中にあって、フランクフルト学派的な社会主義イデオロギーの影響、つまり「権力否定」、「国家否定」、「伝統否定」の「批判理論」が流布された。この宣伝が人々の精神を荒廃させたのである。学界もジャーナリスムも政界のそれに染まった。それこそ、彼らのねらったことであったから、成功したことになる。しかし失敗も明らかであった。彼らは、その行く末に「革命」を夢見たのだが、実現しようもなかったからである。人心「荒廃」によって到達するのは「革命」ではなく「伝統回帰」「歴史の掘り起こし」という逆の方向であるのだ。今いたるところで「伝統文化」の復活が叫ばれ始めている。
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そしてここで問題にするのは、保守が、その後の左翼が、「戦後民主主義」や「平和主義」を、労働運動から方向転換し、文化運動に切り替えていたことを察知出来なかったことである。労働階級の運動よりも、「市民階級」の左傾化に重点をおき、メデイアや学界を通じてそれを展開させたのであった。つまり「文化」活動全般を通じて、階級意識、差別意識をつくりだす心理的、精神的な運動をめざしたのである。それが、戦後のグラムシでいえば社会の「へゲモニー」理論であり、フランクフルト学派の「批判理論」の考え方であった。
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この時期に行われた公職追放によって、戦時中の多くの有能な人々が公職から追われ、それに代わって、いわゆる戦後利得者が、公職につき、左翼的な言辞をふりまいた。

占領下のこのような左翼的な偏向は、戦後の二年間ほどであったが、その間に、てっとり早く諸改革がなされた。それは、すでに戦争開始の時からOSSが、戦後改革を「日本計画」として立案していたからである。戦後すぐOSSは解散したが、その下で働いていた人々はGHQに流れ込んだ。それもレッドパージにより、その力は数年で失われたが、その二年ほどで、憲法から公職者まで、変えてしまったのである。

NHKもまた、それで完全に左翼化したことは、一九四六年十月五日の「放送スト」にまで発展したことでもわかる。あわてたGHQが、NHK職員の大量にレッド・パージをしたのだが、それは遅すぎたのである。新たな「放送法」をつくり、民間放送の設立を認めたとき、ファイスナーという担当官が《NHK職員には共産主義者が多く、放送ストをする者もいた。また朝鮮戦争のときにパージされた者も多かった》からだ、と述べた。民間放送の認可は、NHKそのものの左翼化を、変えられなかったことによるものだ、と語っていたことになる。NHKに公共放送を独占され、その独占状態を、民間放送を作らせることにより、左翼化をふせごうとした経緯があったのだ。それはアメリカが、ちょうど左翼的なOSSから、冷戦に対処するCIAに、戦術を転換するときにあたっていた。

しかしその後続々と出来る民間の放送局も、別に保守的な報道をするわけでもなく、NHKの左翼性、リベラル性を超えるものではなかった。放送界、メデイア界に入る人々の意識は、「戦後民主主義」に染まり、あたかも客観的報道と称して、人々を「社会主義」支持の方向に導いていったのである。その「文化運動」の先頭に立ったのが、放送の方ではNHKであり、新聞では朝日新聞だったのだ。

むろん社会主義国の崩壊、北朝鮮の拉致問題などが、その態度を変えさせた面もある。しかし内実は、リベラルな態度にシフトしただけであった。リベラルとは、「権力」、「権威」から独立した自由な態度、という曖昧なものだが、「権力批判」、「権威批判」の名のもとに、人々を混乱に導いたのである。フランクフルト学派に由来するこの「権威主義」批判は、文化面においては、素人的な「凡庸主義」を導くことになる。「凡庸化」が、あたかも新しい文化のような装いを取るようになる。識見のある「権威」を否定し、専門家よりも、素人を多用するNHKの放送体質は、その理論によるものと思われる。
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一方で、慰安婦の碑建立の動きがあった。二〇一二年の春には、ニュージーランド州パリセイズ・バーク市の図書館の横に、《日本帝国軍部に拉致された二十万以上の女性を悼む》という慰安婦の碑が建てられた。とんでもない数字を、碑に刻んだのだ。

しかもこれを囃したてたの『ニューヨーク・タイムズ』である。

二〇一二年五月十八日同紙に写真入りで《慰安婦の碑、昔からの憎しみを深める》と題して大々的に報道した。この新聞が、もともと左翼ユダヤ系であることも知られている。メデイアや学界を握ることが、戦後のユダヤ人にとっては、大きな課題となったことは、彼らの戦術にとっては重要なことであった。ドイツのナチスが、あらゆる新聞やラジオなど宣伝をつかって、ホロコーストを行ったことに対する強い被害意識があったからである。左翼ユダヤ人で構成される米国に亡命してフランクフルト学派は、そのことを深く研究し、逆転させようとしたのである。このことは拙著に詳しい。
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リベラリズムはその理論の根幹に、”国家の破壊”があり、愛国的リベラルなどありえない 「日本人にリベラリズムは必要ない」田中 英道【著】まえがき
また、「リベラルには国家観がない」「リベラルは国を守ろうとしない亡国の勢力だ」とよく言われます。しかし、この批判の裏には「愛国的リベラルなら認めることもできる」「外国のリベラルには愛国心がある」という留保が隠されています。
この考え方も間違っています。リベラリズムはその理論の根幹に、”国家の破壊”があります。なぜリベラリズムが思想のおおもとに「国家破壊」を持つ必要があるのか―、その理由も、第一章と第二章を読めばおわかりいただけるでしょう。